女子校育ち

コスメと遠征先でのビール工場見学が好きです

活動休止発表を受けて

そっか、まだもう少し先だと思ってたのになあ〜〜

一番初めに思った正直な気持ちがこれだった。



すごい長い独り言です。



私が嵐を好きになったのは5周年が終わったサクラ咲ケの頃だった。そもそもはピカダブのPVが好きだった。
それ以前にも、金髪ピアスの櫻井翔を見ると私の中のヤンキーがキュンとしていたけれど、グループとしてのやり取りも込みで好きだと実感したのは大体この頃だった。


こんなに経っていたのか。
今では信じられないけど、本当に周りのみんなはメンバーの名前も知らなかった。みんなは知らないけど私はこんなに良いグループ好きなんだぜって、人に隠した趣味みたいな変な感じがして好きだった。


会見がなんやらかんやら言われていたけれど、それはともかく、私は嵐が選んだグループ活動の休止にあまりにも納得してしまい何も言葉が出なかった。
頭の中ではすごくよく理解できた。なんの反論もない。ただただ私の中のオタクが泣いているだけ。
さみしくてさみしくて、やり場のない気持ちになっているだけだった。聞き分けのいいオタクと、現場命のオタクが戦っていた。


嵐が永遠じゃないことを私はどこかで分かっていた。
嵐は5人でいることが絶対条件で、横イチで歌うことがすごく多くて、年末年始のテレビ誌を見てもらうとわかるようにセンターが決まっていない。「センターが決まってないグループなので」と最近よく、しょさんが言っていることだった。

にのの5×20の挨拶は聞いていて「なんの話なんだろう、誰が死ぬわけでもないのに客のこと心配してくれてるの?」と思っていたけれど、そういうことではなかったんだろうな、このことだったのかと今になって分かった。



黄金期の時代に生まれたグループだから、デビューシングルこそ売れたものの他とは違って、なんていうか世間的なアイドル像とは異なっていたのかもしれない。
その当時のことはわからないけれど、私がCDGを観ていた時の嵐のイメージは「ゲストを置いていく」「内側を向いて進んでいる」こんな感じだった。
別にやる気がないとか、向上心がないとかそういうわけでは全くなく、常に全力を尽くしていたけれど何となく心のうちに暗さを持っているので、5人でくっついていないと自分たちの冠なのに圧で負けるというか。でもそういうところが好きだった。

ハワイでしょさんが言った「寄りかかってないと立っていられなかったのかな」みたいな言葉が、まさに私が初めに抱いた嵐のイメージにスッと繋がった。
ソロでそれぞれが活動できるようになった今でも嵐に戻ってくるとくっついてしまうところは、ある意味同窓会とか幼馴染に近いイメージで他のグループにはない空気感がある。
でもそれが(苦しんでいないかもしれないけれど)嵐自身を縛りつけてしまっているのではと思っていた。5人で嵐だけど、"5人じゃないといけない"という呪いを世間がいつのまにかかけてしまった。

私がアイドルに求めることはバラエティやドラマの出演ではない。ジャニーズ事務所に所属していて歌って踊っていてくれればそれでいい。実際テレビも音楽番組くらいで滅多に見ない。コンサートや歌番組に出てくれる、それだけでよかった。
でもそれが叶い過ぎていた。毎年必ずコンサートやって、毎年動員増えて。2008年からシングル4枚、翌年も4枚、2010年に6枚出した時は嵐は事務所に殺されるんじゃないかとすら思った。
コンサートにも行けなくなってきて、それならいっそ今結婚発表とかしてくれたら急に人気落ちるのに、なんてとても勝手なことを考えたりもした。

ただこれは私の横暴な考えだけじゃなくて、常々しょさんが周りで普通に生活する友人達の結婚や出産といった所謂一般的なライフワークの中に出現するイベントのことをよく話すものだから、「あ〜〜〜わたしもしょさんの子供の話聞きてえ〜〜そして奥さんと子供が羨ましくて羨ましくて泣きてえ〜〜」と思っていたからでもあるの。マジだよ!!!
だから5人にだって、そこらの一般人が手にすることができる十分な幸せを手に入れて欲しい。幸せの形はなんだっていい。5人がアイドルだから手に入れることができないなんて、そんなことはあっちゃいけないと考えてきた。
綺麗事かもしれないけど、死ぬほど事務所に怒られたって、ファンが死ぬほど離れたっていいからもっと勝手に生きてよ、と思ってた。
オタク勝手だなと思うけど、でも綾子はやだよアホだもん。絶対やだ。

いつだかにも、私の幸せは自担達の幸せであるから結婚でも何でもして欲しいと言った。私の好きな人が幸せになれるならいっそファンを置き去りにしてくれていいと思ってきた。そんなことを思っていたくせに、突然来たら何も言葉が出ない私ずるいよね。心のどこかでまだしばらく平気だろう、来ないだろうと思っていたんだよね。
SMAPが40歳を過ぎても活動していたように、それくらいは必須なのかなと考えていた。

"2021年以降、コンサートを見られる保証がなくなった"という現実を信じたくなかったというのもある。
甘かったか〜とか思ったけど、オタクがそんなにあれこれ考えて何かに備えて活動するってのも趣味としてはおかしいしな、こればかりはしょうがない。分かってるんだけど。


そう思わないと、さみしくて仕方ないのかな〜ふとした時に泣きそうなの…
人生の2/3くらいは「どこかに嵐のある生活」を送っていたから、ない生活に戻ることができない。小学校低学年には戻れないし。そんな生活を想像できなくて怖いというのもあるのかもしれない。


「ARASHI BLAST in Hawaii」発売 - 女子校育ち
なんとなく、会見を見たらハワイのことを思い出した。

この時は、なんで15周年で特別なハワイなんだろうと思っていた。いや今でもよくわかってないけど、何だったんだろうな〜。今思い出しても、夢みたいだった。生きていて一番幸せな時間だった。

私もだけど、嵐もよく言うようにいつかは人気に陰りが出てくると思ってきた。実際私はここまで嵐が世間に根付いて人気が長期的(というかもはや永続的)なものになるとは思っていなかった。むしろ会見を経てさらにその世間からの信頼を勝ち取ってしまった感もある。
ある程度のレベルになると国民的と呼べるんだなと感覚的にだけど、全世代で獲得した好感度はある程度人気が落ちても関係ないんだなってよーく分かった。


何かを書きたかったわけじゃなくて、自分の思いを吐き出したかっただけなのでダラダラ書いてごめんだけど、嵐の考えが分からなかったことって2010年以降の「君と僕の見ている風景」「Beautiful World」あたり。特にBW。
忙しすぎて疲れたんかなと思ってたけど、あれくらいだったんだよね。*1
アラフェスはアイデア自体はめちゃくちゃ理解できた。ファンが爆発的に増えてしまい内容が新規曲になってしまっただけであって、あれが別の年に開かれていたらまた違った形になっていただろうなと思うし。だからこそ勿体無かった!と根に持っているわけだけど。

はー分からんと思っていた時も、メイキングを見ると常に私のイメージ通りの嵐でいてくれた。ジャニーズらしくないとか地味とかよく言われたけれど、私にとってはアイドルとしてできすぎていた。
私のアイドルは沢山いるし、そのどのグループもがなくてはならない大切なものなんだけど、その中でも嵐は一番長かったこともあってか見ると落ち着くしその当時は近い(一般人に近い)空気感を持つアイドルだった。
気づいたらおっさんにはなってたけど、ジャニーズ内ではメンバーが減ったりタキツがいなくなったりということがここ数年重なったから余計に嵐が欠けずに20周年を迎えることのありがたみを感じていたところだった。


5・10・15周年の時ここは通過点と言ったよね。20周年はゴールなのかと言われたらそうではないと答えるんだろうけどじゃあ一体なに?集大成?それゴールとは違うの?
休止の理由やその後の活動については理解できるけど、嵐そのものを宝箱にしまった後のストーリーが分からない。私はどちらかというと嵐の終わりより永遠の休止の方が気持ち的にまだ楽かな。今の時点では、そう思ってる。

嵐はこうしてジャニーズの中のモデル事業となるのかな。
クソザコだから、全然動画も見れないしDVD見られないし。何となくだけど正直2021年以降にやるとは思えねえよ〜〜〜くそ〜〜〜!!!!
だってさとしって無関心そうとかやる気なさそうとか言われること多いけどめちゃくちゃ運動神経良いし多趣味だしすごい普通なんだもん。あれもこれもやってみたいだろうし。
しょさんがZEROで「多才な人なので」と表現した瞬間に強烈な愛を感じてソロコンの頃を思い出して、それまで冷静に見ていたのに涙が止まらなくなった。
年上の2人は特にまた他の3人とは別の空気があって、2人になった瞬間にしょさんはさとしに甘えるというか、しょさんにとっての精神的支柱なのかなあと感じるんですよね。ごめんキモオタが勝手に考えてるだけだけどさ。

あとはね、これは嵐5人を考えた決断だったんじゃないかなとも思う。全部想像だけどね。
嵐は4人のために1人の自由を奪うことはしなかったけど、1人のためにグループを休止したわけでもないと思うの。さとし発だったとは言え、それぞれが自由に使える時間を増やしたいという思いは嵐の望みでもあったんじゃないかなとも思う。
嵐を嵐のまま終わらせることを考えたじゅんと同じように、それならば嵐のために、とっておくという宝箱に仕舞うという考えに至ったのは納得がいった。
だけどきっとその宝箱の鍵はさとしに渡してあるので、開けることはないんじゃないかと思う。はあ、こんな書いておいて寂しくて泣く。


2021年以降コンサートへ行く夢が叶うのなら、本音を言えばまたハワイにもアジアにも行きたかったけど、もうやってくれるならどこでも良いしネット配信でも良い。干支が回るくらいの頻度でもいい。
あーむり。私にはYJもセクゾもJrもコスメもビールもあるけど、全く別物だから。全て違う世界のアイドルなの。
しかもこれから疾風怒濤の春の現場祭りが開幕するというのに、それでも未来には絶望しかない。
春の現場祭りは死ぬほど楽しみなのに、それとこれとは別なんだよね。



Mステがあまりに良かった。あのくっついて歌うとことか顔を見合わせて歌うところがいつも通りの大好きな嵐だったのに、堪えて潤む目と少し歪んだ表情が映ると活動休止が事実なんだなあと実感なんか湧かないのに受け止めさせられてしまった。「感謝カンゲキ雨嵐」で泣いたことなんて今までなかったのに多分初めて感謝で泣いた。
私もそうだけどみんな年をとって、老けたから、なんか涙腺も緩んでるんだと思う。しょさんとにのって割と泣かないイメージだったのになあ。あいばさんとじゅんが強くなったのに2人は弱くなった気がしてる。


他のグループでカバーできる傷?ではないので生きるのが難しい。こっちの思いを汲んで全てまわりこんでフォローしてくれる嵐の優しさと誠意を感じながら、その度に事実なんだと認識させられる。受け止めることはできるし2年間の猶予を与えてもらったけれど、きっと最後まで寂しくて泣いている気がする。
なんていうか、仕事してるのに楽しくコスメ買ってるのに、別の人格で生きてる感覚っていうか。NEWSが好きでWORLDISTA聞いてツアーへの思いを高める私①とセクゾのAOKIタイアップ曲がかっこよくて頭を抱える私②と、春のコスメを買い漁る私③と、ストのチケ交換探す私④みたいな感じ。嵐って聞くと頭がーん殴られたみたいに急に思い出して元の私に戻って疲れてる。

嵐は多ステできなくなってから、その年に2回行けたらラッキーかなみたいな状態で生きてきたけど、こんなにも精神的に重要だったのかとハッとさせられた。
どこかでグループ脱退や退所が伝えられるたびに、明日は我が身だなんて軽々しく口にしていたけれど、そこがホームである人間にとってはそんな生易しい表現で伝えられるような悲しみではなかった。

こんな時に一般人に席を取られている場合ではないの。
もう少し人気が落ち着いたらこの先のコンサートで当たるだろうなんて思ってこの何年かで名義を減らしてしまった私を殴りたい。2度と見られないかもしれないのにそのチャンスを捨ててしまった。もう取り戻せないのが悔しいしどこまでも甘くて腹が立つ。当たらなかったらどうなるんだろう。

この先の2年間を嵐ファンはどうやって過ごすのだろう。

*1:ジャポアリーナはなかったことになっている